Twitterの仕様変更により、閲覧できるツイートの数に制限が出た模様。おかげで一時巷は大騒ぎ。人々は移住をするのか、不便が増しても使い続けるのか。
そんなことをあげつらえながら、Twitterアカウントの今後の運用ややり方とか、二代目D.U.Pファンに向けてちょっと考えつつ書いてみたい。
とりあえずこの場所は無くならないです。
ツイート閲覧数の制限が課された
API制限というもの。
このツイートの閲覧数が制限値に達すると、それ以上ツイートを見ることができなくなる。
自分のアカウントか他人のアカウントか、個人か企業かを問わず、一日に見れるツイートの閲覧数に制限が課せられたとのこと。詳しい解説は他のブログ等で解説されているので、そちらを眺めてくるのを推奨します。
少し前までのように、閲覧数や内容など気にせず浴びるようにツイートを見る、ということができなくなったとのこと。なので自分にとって興味もなければ、旨味も癒しもないツイートを見てしまったが最後、その日はもう他人のツイートどころか自分のツイートさえ覗くことができないということが起こりうる。
そこで考えられる影響とは。
自分の好きな話題を検索できない
検索して過去のツイート群の中からキラリと光るツイートや、萌える推しキャラのイラストや萌え語りを探しに行くということがやりにくくなる。
大切なAPIライフゲージを費やして探しているのに、誰かがツイートした「眠い」「腹減った」という他愛もないツイートや(運が悪ければ)愚痴ツイートにAPIは削り取られていき、あと一歩で宝石に手が届くという手前でライフが0になるということになる。
なにせ、画面に映ってしまっただけでライフを消費してしまうのだから。
皮肉なことに多くの人に人気があって話題になっているキャラや作品ほど、検索することができなくなっていくというもの。話題のツイート順か最新順かで探せるが、そのどれに対しても中途半端な位置づけにあるものの好きな人には刺さる萌え語りは見つかりにくくなる。
マイナーキャラはわずかなチャンスも潰えた
様々な事情で人口が少なくなっている、いわゆるマイナーキャラや作品といったものは実のところ結構ある。
現代はアニメやマンガ、ゲーム、映画、ソシャゲに動画などなどなど、一生の時間全てを費やしても足りないくらいの娯楽作品が世の中に溢れかえっている。そんなご時世でも、誰かが発した萌え語りツイートによって別の誰かの心に火が灯り、今までたまたま出会うことができなかった作品に出会い、そしてハマっていくということがありえた。
今回の仕様変更で、その可能性はまた低くなってしまった。
自分の閲覧ライフを大事にするとなると、自分の好きなものに優先的に使うようになる。自分が知りもしないものにわざわざ一日分のライフを費やして、当たりかハズレか、もしくは不漁に終わるかも分からないものを探すために使うだろうか。そんな心の余裕のある人がTwitterの仕様変更に戦々恐々とするだろうか。
すでに人口が多い作品や話題の人気のジャンルは、前までのように活気づく速度は遅くなったかもしれない。しかし、それが知名度の低い作品にとって好機となるわけではない。知らないものは一生知らないままで終わるという可能性の方が高まったのだ。
宝を掘り起こすという行為に制限がついたのだから。
宣伝する場所が小さくなった
Twitterの良いところは、たくさんの人が集まっていたこと。そして、自分の好きな作品や興味のある話題を、同じものを好きな同志を起点にしてその周りの人々に伝わっていくこと。これによってテレビCMや雑誌のような公的な宣伝とは違い、同じ波長や似ている波長をもった人たちにじわじわと広がっていくことができた。
仕様変更がされたばかりの頃は、自分のAPIライフを節約するためにリツイートするアカウントが多いのではないかと思った。しかし、好きなものの話題に対するリツイートとそれによるAPIの消費は、必要な消費という認識をもっている。
過去の存在が消えた
閲覧できるツイートの量に制限ができた。ということは何かを対象にして検索をした場合に、ある範囲から過去は制限のために遡れなくなる。どうやっても辿り着けないツイートは見ることができない。見ることができないツイートは存在してないのと同じ意味になる。
閲覧数制限のために辿りつけない過去のツイートは、存在していないことになった。
ではそのツイートをした本人はその瞬間何をしていたことになるのかというと、PCまたはスマホの画面を眺めたまま何もせず何も考えず、ただ停止していたのだ。
ただしそれはAPI制限が出ている今だけの話なので、この仕様が無くなればまた見られるようになりますよ。
今の仕様でも使い続けると思う
前までのように好きなだけツイートを眺めるという事はできなくなったわけですが、それでも別のSNSに移住する人はあまり多くないと思います。なぜなら、Twitterというものに感性が合わさってしまったしまったので、今さら勝手の異なる別の環境に移り住むというのは心が疲れてしまうんです。
別の環境、別のSNSに移るという事はTwitterのノリは通用しなくなります。さらに、最初は孤立します。先に住んでいた人たちがワイワイ楽しんでいるところに、慣れ親しんだところを離れてきた人が一人ポツンと居るわけです。
心機一転の気持ちで新しい環境に溶け込んでいける人もいれば、そうではない人もいる。新しいところでは自分から活発に行動していかないと始まらないのですが、黙って待ちの姿勢でいるといつまでも孤立しつづける状態になる。お手軽に壁打ちアカウントになれます。
誰も何も反応しない状態でも愚痴らずに明るい話題を発信し続ける。それを何週間も何ヶ月も続けることになるかもしれない。それに耐えられるならいいかもしれませんが、心は衰弱していくんじゃないですかね。
となると、API制限があって前よりも不便であっても、なんやかんやいつの間にか今の仕様に慣れていってしまえるんじゃないでしょうか。人が多くて、お手軽に発信出来て、それなりに好き勝手できるような競合SNSってないんです。
自分のアカウントはツイート減少するかも
人によっては心配しすぎとかお節介と受け取られるかもしれないですが、自分が運用しているアカウントのツイートでフォロワーのAPIを消費させたくないという想いがあります。
幸いにも令和アニメのおかげで、二代目D.U.Pについて話せる方や好きになってくれた方、興味を持ってくれた方々が少しずつ増えてきました。しかし、Twitterにあるアカウントは元々「二代目D.U.Pの盛り上げ」を目的にして作られたものなので、交流することを目的に作られたものではなかったです。
それでこそ令和アニメが放映される以前の、今よりも人が居なかった状態の頃に作られたものなので、交流という目的は捨てていました。交流という楽しみは他のファンの方々に任せることにし、自分は基本的に作るだけ。作ってリリースしたものでみんなが喜んでくれたり、幸せの足しにしてくれればそれで良かったんです。
だからこそ、令和アニメによってデ・ジ・キャラットという大きな括りで興味を持ってくれた方、その中で二代目でじこ・うさだ・ぷちこを好きになってくれた方々の「楽しむ」ということを邪魔したくない。
興味を持ったタイミングという意味での世代だって違います。どこかで波長のズレが生じるかもしれない。今を活きてる世代には現在の主人公たちとして、活躍したり楽しんだりしていてほしい。個人的な思いとして、異なる世代のみんなの空気や文化を止めたくない。ハマりたての初々しい方々は、存分に活きたいように楽しんで満喫してほしい。そんなのがあります。
なので今のTwitterアカウントは2022年までのように、たまに喋って、基本的にはイラスト投稿と宣伝を主体とした運用にしようかと考えてます。本当は交流とかもしたかったんですけどね。不便な考え方になっているなと思います。今と昔とでは状況が変わっているので、考え方も変われるかもしれませんけどね。
解釈違いは温存
前から伝えている通り、
二代目でじこ・うさだ・ぷちこは何かの変身ではなく「二代目」として存在していて、初代D.U.Pとは別な次元に住んでいる。お互いに血の繋がりを知らない姉妹。
デビル財閥魔神機関エナジービーム通信社 刻
という世界観でいます。
ブロッコデスとブシロドノミコトを排斥というのもしていないです。それも独立したキャラクターとして捉えています。誰一人偽物として消滅はさせていないです。住んでる世界が違うだけです。
二代目でじこについては何年も前に
- 初代様に憧れてる普通の女の子
- 初代でじこの母親
という解釈を見たことがあります。
なんとも複雑な思いはしますが、だからといってこの解釈や世界観を潰したくはないです。どちらにしろ「二代目デ・ジ・キャラット」という大きな括りでのコンテンツを拡張して深めてくれると思うからです。
その世界観を気に入る人、共感する人というのが絶対いると思うんです。
このサイトの世界観は受け入れられない。かといって公式展開されている世界観にもなんとなくついていけない。という人でも受け入れられる余地が生まれるのではないかと思います。
解釈一致も一線を引いたうえで歓迎
大変幸運なことに、二代目D.U.Pと初代D.U.Pの関係について解釈一致が起こった方と巡り合えました。信じられない幸運であり、とても幸せな思いを抱きました。
だからこそ私は、お互いの解釈を噛み締めたうえで一線を引きたい。なぜなら、大なり小なりどちらかの解釈に引っ張られてしまったがために、相手の世界観が塗り潰されたり霞んでしまうことを恐れているからなんです。
せっかくその人が心の中に抱いた世界観、それは宝石よりも煌めいて太陽のように暖かいものだと思うんです。それがなくなってしまうのはとても勿体なく悲しい。
決して嫌いだったり受け付けないから一線を引いているわけではないということを、声を大にして申し上げたい。
重石や足枷にはなってほしくない
そりゃ稚拙な二代目D.U.Pファンとしても、新規や常連、ベテランを問わず同志やファンが居てくれた方が嬉しいですよ。自分以外の人が作った創作物は宝物ですから。
ですが、決して自分の心の行動力を妨げるような足枷にはなってほしくないんです。
二代目D.U.Pファンが少ないのは仕方ないんです。様々な事情や時の運もあって、初代様のように大きく盛り上がることはできなかったんです。それが今時点での事実なんです。目を背けても現実は変わらないんです。
自分は「二代目D.U.Pは失敗なんかじゃない」「捨てられた魅力のないキャラなんかではない」という、半ば意地になって二代目D.U.Pの魅力をもっと育んで、初代様という過去の栄光を越えたいと思ってやってるんです。純粋な『好き』ではないんじゃないかと葛藤するときもあるぐらいです。
そんな風にはならないでほしいです。
楽しみ方は人それぞれ。何かを創りたい方、同志と語りたい方、公式展開を楽しみたい方、一人で粛々と噛み締めたい方等たくさんいます。過剰だったり、歪んだ使命感や義務感に囚われないようにしてください。
反応の少なさや空気に耐えられなくなって、別の作品に旅立っても良いんです。羽を伸ばすための旅行だったり、作品の卒業という風にでも思って下さって大丈夫です。貴方の心や記憶の中に宿ることができたなら、その間キャラクターは活きていますし、卒業したのならキャラクターとしての役目を全うしたんです。
貴方の心も、貴方の「好き」という感情も、貴方のものです。貴方の自由なんです。
二代目D.U.Pを盛り上げたい。その熱意は計り知れなく嬉しいものです。ただし、その熱意が自分を苦しめる重い鎖にはならないように気負わないでください。大丈夫です。貴方の心は独りではないですから。
いつでも旅に出ていい、いつでも卒業していい、いつでも帰ってきていい。心の翼を大切にしてください。
おわりに
Twitterの閲覧制限が課せられましたが、一時的な仕様ということのようなのでこのさき閲覧制限が解除されるかもしれません。
一日の8割以上をTwitterに費やしているヘヴィユーザーでもなければ、そうそう閲覧制限の上限に達するとは思えませんし、Twitterの依存性から少し解放されるのですからかえって良いことだと思います。
その内慣れますよ。
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