二代目D.U.Pファンやってて辛いなら

 ファンをやってて辛いなら、公のコミュニティと離れて好きなもの同士だけで交信して、自分の手で作っていた方が一番良いと思います。

現実としては辛いけども

 ここで何度か告げた通り、二代目デ・ジ・キャラット、二代目D.U.Pの活動は終わってしまいました。それは、もう公式から新しい展開は何も起こらないということ。公式からの供給は終わってしまった。自分は、あるいは我々は、切り離されてしまったんです。
それは事実です。今公式に不満を言おうが、おそらく何も変わらない。

 二代目でじこ・うさだ・ぷちこを、「二代目という存在」として好きだった自分としてはとても辛いです。意外に思われるかもしれないですが、とても悲しいです。同じ心境に居る人がいるならば、その辛さは分かります。自分も心の晴れない日々を過ごしてます。

嘆いても悪化してしまう

 自分はこの現実をこれまでよく嘆いてきた。しかし、その行為に意味はなかったし、現実は変わらなかった。

 何よりも、こんな暗い気持ちになってるような人がいる作品やキャラクターに、別の自分が居たとしたらその状況に良い印象を抱くだろうか。好ましい予想は生まれにくいだろう。

 二代目D.U.Pもしくは新しい作品に必要な要素の一つは、新規のファンなんです。経験的に、初代様を好んできた人の眼中には入らない。それは仕方ないです。逆の立場だったら同じことになる。
「自分の好きなものに他人の評価や比較は関係ない」という気位でいるのが理想ではあるのですが、インターネットと交流する方法や、人気というものに関わる要素が見えやすくなってしまった現代では、それはなかなか難しいことだと思う。それに苦悩する人もいる。

 現に、運悪く不人気になってしまったが故に悶々とした思いに苛まれている人々は、他の作品でも存在している。たとえ人気作品であっても、今度は個々のキャラクターでの比較が起きている。二代目D.U.Pのように公式に切り離されたり、何かしらの要因で嫌われたり陰に隠れてしまったり、あるいはもっと酷い仕打ちを受けてしまったていたり。ひどく辛いものです。

 ですが現実としてこの世界線は、今生きているこのような流れとして動いてしまった。それを嘆いても現実は変わらない。変えられない。嘆けば人を遠ざける。我慢して押し黙れば、その悲しみは自分の心を腐らせ、果ては身体を蝕む。そして知名度はさらに霞んでいってしまう悪循環です。

ならば悲しむより育んだ方が良い

 現実は変わりません。文句を言っても悪影響。黙れば知名度は下がり、自分も腐り果てる。

 それだけでは悲しいばかりで、何一つ救いがない。だから私は、自分の好きになった作品を、キャラクターを育んでいった方が良いと思うんです。

 これは提案です。その作品の良いところ、そのキャラクターの魅力を知っているのは自分自身です。ならばそれは自分以外の誰かに、魅力的に伝えるべきだと思うんです。文章でも、イラストでも、漫画でも良い、自分の得意な方法で伝えると良いんじゃないでしょうか。押しつけにならないようにすれば良いだけで。
自分が好きならばそれでよし。独りで満足して、自分の中だけで完結するという人ならばわざわざにやる必要ないです。

 そうではない人。自分のように同志を増やしたい、ファンを増やしたい、もっと言えば自分以外の誰かが表現する推しの姿を観たいという人は、やってみるだけの価値や意義はあると思います。

 どうせこのままでは今までと同じ、ただ悲しみを継ぎ足してかき混ぜ続けるだけです。一人で悲しみに暮れる。笑う人は居ても、手を差し伸べる人はいない。かつては守ってくれたような公式は、今はもういない。

 ならばその作品やキャラクターをこれから育むのは、自分になれば良いと思うんです。推し活ってそういうやり方もあるんじゃないでしょうか。2013年から今の状況になってからは、日々愛着が向上いていくばかりですし。

悲しむためのエナジーがもったいないから

 月並みな言葉かもしれませんが、悲しみのエナジーを作品を作ることに費やせばいいです。喜怒哀楽を感じるエナジー、体を動かす活力と気力を、悲しい記憶をなんども思い返してリピートし続けることに続けるなんてデメリットしかないです。それで得られるのは、せいぜい新しい悲しみぐらいです。

 「私にはできない、無理」と思うことでしょう。できますよ。確かに疲れるし、気力だって削がれますが、悲しみをリピート再生し続けるよりはマシでした。そうやって10個20個と作り上げてみたら、最低でも一人は喜ばせることができた。世界最高峰の幸せではないかもしれないけれども、少なくともポジティブな方向に喜ばせることができた。そこまで続けて良かったと思ってます。

 現実は変わりました。この世界で一人で、二代目D.U.Pに関わる今の現状に泣き続けてました。でも、二代目D.U.Pで自分以外の誰かを喜ばせたり楽しませたりすることが、最低でも一度はできました。何もしていなければ、何も変わらず悲しみに潰されていたと思います。

 何もしないで悲しみ続けるよりは、絶対にマシだったと思ってます。

でも戦っても良い結果はない

 比較させられる相手が憎い。やたら目につき拭えない。求めてもいないのに流れ弾を食らう。自分もそういうのありました。今もありますよ。

 それでも絶対に戦ってはいけないんです。なぜなら、勝っても負けても良いことは何もないから。

 まず戦うにしても、ファンの数では相手の方が数が多いので負けます。戦いは人数が多い方が強いので、100回やっても100回負けると思います。
そして戦っている間は、攻めることも守ることも考えなくてはいけない。それをやっている間、自分の好きなものは眼中にない。自分の好きなもののはずなのに、自分こそが見ることができていないんです。

 戦いに負けたら、自分は終わりです。好きなものはこの世から抹消されてしまうかもしれませんし、自分の好きな作品やキャラクターに一生消えない傷が残るかもしれません。

 戦いに勝ったとしたら、自分と相手側との関係は悪くなります。自分を打ち負かした相手に100%の良い印象を抱けるでしょうか。さらに自分は満身創痍である可能性が高い。戦ってボロボロになっていってる間に、いったいいくつのイラストが描けただろうか。

 それに勝ったからと言って、何かを得られるわけでもないんですよね。勝ったからファンの数が増えるわけでもないですし、むしろ悪い印象のほうが増えてることでしょう。極論、人数が多い方からすれば「だから何?」で終わってしまいます。

 時間と体力を費やして、ボロボロになりながら苦労してやっと勝ったところで、負けた時と同じく何も得られないってめちゃくちゃ虚しくならないですか。

それでも悔しいとき

 そんなときは、もう人が集まるところに行かない。もしくは、信頼できる人とだけ交信するようにして、ジャンルや界隈から離れる。完全に断ち切るとまでいかなくていいので、一歩引いたところから眺めるとか、話題に集まらないようにすればいいです。

 Twitterとか掲示板とか、離れて辛いのなんて一週間も経てばだいぶ緩和されます。一緒に混ざっていたころは楽しかったかもしれないですけど、大したこと言ってないですし、話の内容も同じことの繰り返しだったりです。重要な情報なら公式アカウントか、作品そのものを見ていれば十分です。

 次の段階として、何か新しい作品やジャンルに手を出すと良いです。ゲームでも映画でもアウトドア系でも構いません。

 大丈夫です。それらに手を伸ばしたからと言って、あなたの一番好きな作品や推しキャラというものが、心の中でランクが下がるという事は起こらないです。たしかに新しいジャンルに手を伸ばして楽しんでいるときは、そっちに気がいくでしょう。時間を忘れてハマることがあるかもしれませんね。
しかし、だからと言って自分の推しが自分の中から消えてしまうことは絶対にないです。いつでも自分の心や記憶の中に宿り続けます。自分の推しを思う熱意を信じてくださいよ。

 とにかく自分を悩ます原因からしばらく遠ざかるのが良いです。地下鉄で迷って歩いていたら、別な世界へ辿り着いてしまったかの如く。

終わりに

 改めまして私は、二代目D.U.Pは自分たちで育んでいった方が有意義であると思います。そして、悲しい思いをリピート再生するぐらいなら、自分で何かしら作ってた方が断然メリットがあると提案します。

 最後に同志たち、どうか体に気を付けて。心にもエナジーを。
二代目でじこ・うさだ・ぷちこは活きている。

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