二代目D.U.Pは「超える」こと

 二代目D.U.Pで創作していてもなぜかイマイチしっくりこない、自分の心が不完全燃焼を起こしてるきがする、どうせなら二代目D.U.Pを大きく発展させたい、という方に向けて。

「なんかうまく言えないけど…もっとこう……二代目って感じを出したいみたいな…」

そんななんとなく火付きの鈍い感覚への解決策になるかもしれない。

 普通に楽しみたい、交流を楽しみたい、そこまで熱くなるつもりはないという方にはあまり響かない内容だと思います。

同じことをやると超えられない

 二代目D.U.Pが独自の進化を遂げるには、新しい世界観を創造して拡張していくこと。逆になるべく避けなければいけないのは、初代D.U.Pと同じことをやるということ。

 初代様と同じことをやると、例えどれだけクオリティを高めても初代様を超えることはできない。持てるもの全てを注いで最高潮にまで高めたとしても、せいぜい追いつくことはできるぐらい。超えるという事は絶対できないんです。
なぜなら、初代D.U.Pという尺度の上で競っているだけで、最高点は初代様で止まっているからです。そこから上も先もないんです。

 極めつけは、最高点の初代D.U.Pに辿り着いたとしても、結局は物真似の域を抜けることができないということ。知名度や印象、思い入れや愛着のためにどうやっても「2番目」や「型落ち」というような良くないイメージが付きまとってしまう。
キャラクターや作品は道具や機械ではないので、スペックやポテンシャルが高いからと言ってユーザーが移りかわるということには繋がらない。

 初代様の尺度の中で成長を試みても良い結果には結び付きにくいんです。

具体的な「同じこと」とは

 初代様と同じことというのは、舞台設定や流れ、キャラクターの性格や相関関係のような世界観やキャラクターに関するもの。

  • 世界観
     どこに住んでいるか、どんな世界情勢か、年代はいつぐらいか、どんな日常か など。
  • 流れ
     ○○だったらだいたいどういう展開になるか、どんなオチになりやすいか など。
  • キャラクター
     どんな性格か、どんな仕草をしやすいか、行動や思考にどういう傾向があるか、どういう反応をしやすいか など。

大雑把ですがこのような感じです。

 例えば初代でじこだったら目からビームを撃つようなシチュエーションで、二代目でじこはどういう行動をとるだろうか。鉄拳制裁なのか、相手を懐柔するのか。初代うさださんは初代でじこに対してライバル的な振舞いをするが、二代目うさださんと二代目でじこの日常のやりとりはどんな感じか。初代ぷちこはツッコミの役回りをする場合にたまに毒舌を吐くが、二代目ぷちこは毒舌の代わりに何を言うのかなのか。

 独自の世界観こそが超える可能性を秘めた道なんです。

やっても大丈夫な「同じこと」とは

 やったとしても初代D.U.Pの尺度に囚われないというのは、何で発表するかということ。できるかどうかは脇に置いて、アニメ配信、マンガ、ゲームなどのメディアで展開すること。これは初代D.U.Pと展開する媒体が被ってしまってもある程度は大丈夫です。

 理想は流通経路も開拓できれば申し分ないのですが、それはかなり難しいです。

変えられるものと変えられないもの

 されど、なんでもかんでも初代とは異なるものにしていけば良いかというと、決してそうではない。なぜなら、全てを変えてしまったのではもはや「別のキャラ」になってしまうからだ。

 変えられる部分と、変えられない部分というものがある。

 変えられる部分は、その部分が変わってしまったとしても二代目D.U.Pだと認識できるところ。初代でじこも二代目でじこも、メイド服というのがトレードマークになっている。来ているものが制服や和服、水着になったとしてもそれぞれ初代様と二代目だと認識できる。一時的に来ていたとしても、これはそのイベントのために服装、その物語中だけの服装と理解することができる。

 変えられない部分は、その部分が変わってしまったらもう二代目D.U.Pだと認識できないところ。一番分かりやすいのが瞳の色、髪型、髪の色です。瞳の色と髪型については、二代目でじこが発表された時は多くの初代ファンを震撼させたという実例があります。

 他に分かりやすい例としては、二代目でじこと女神ブロッコデスでしょう。唯一似ているのは髪の色ぐらいでそのほか瞳の色、髪型、髪の長さまで全て異なるものになっています。これは二代目でじこと女神ブロッコデスのキャラとしての見た目のイメージや、記憶に残る印象をなるべく離れさせる目的があるんだと思います。
初代でじこと女神ブロッコデスも、やはり同じ理由で印象が被るということは極めて少ないでしょう。

 変えられる部分、変えたとしても二代目でじこ・うさだ・ぷちこであると認識できるものこそがアレンジができるところなんです。

倒すのではなく超えること

 大切なことは、倒すことではなく「超える」ということを目的にすること。

 争っても良いことはありませんし、まず間違いなく負けます。ファンの数が桁違いなのですから、戦っても全滅してしまいます。奇跡的に初代D.U.Pを打ち倒して勝ったとしても、ただただ虚しいだけです。争うことが目的になれば常に相手の行動に囚われて、後手後手の行動になってしまいます。

 無理して仲良くしてくださいとまでは言いませんが、争う必要はないです。初代D.U.Pも二代目D.U.Pも同じ仲のキャラクターであり、どこかしらで繋がってるはずなんです。住んでる世界が異なっているだけなんです。

 超えるであれば自分の道を切り開き、拡張して、さらに上を目指していくという視点に立てます。天井もありませんし、傷つけ合う相手もいません。存在する相手、初代D.U.Pは競争相手です。二代目D.U.Pが上へと進めばその作用は相手に波及し、結果として二代目D.U.Pも初代D.U.Pも含めた『デ・ジ・キャラット』というものが上に進んでいくことになるんです。

 二代目DUPと初代D.U.Pは二人三脚してるんです。

おわりに

 ここまで熱く語っておきながらも、決してのめり込みすぎないで下さい。

 そりゃ二代目D.U.Pのファンが増えることは嬉しいですし、自分以外の誰かが作ったファンアートを観ると幸せな気持ちになります。しかし、それにだけに時間と行動を費やし、心を疲弊させないようにしてください。

 何よりも大切なのはあなた。そしてあなたの心です。それが傷ついてボロボロになってしまっては誰も幸せになりません。

 いつでも離れていいですし、いつ戻ってきてもいいんです。二代目D.U.Pから離れることに罪悪感を持たないでください。いつでも貴方の記憶という心の中に宿っているのですから心配しないでください。

 疲れたら休んで良いんですよ。

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