二代目でじこたちにだけある唯一固有のもの

 それはキャラクターとして一度死んでいること。故に、「生きる/活きる」ということを知っていること。

二代目D.U.Pのキャラクターとして

 キャラクターとしての「死」。それは、物語や演出上での死とは違う。

 物語の上での死とは、始まりがあって終わりがある一話完結型の物語の中で、演出や物語の重要なポイントとして存在するキャラクターが死ぬこと。それによって物語の世界観の流れが変動したり、主人公やメインキャラの心境が変化することで決意が生まれることがある。よくあると言ったら乱暴な言い方だが、定番でもあり鉄板でもある「演出」としての死である。
故に、死というよりは寿命や天命と言った方が正しいと思う。

 確かに物語上では死を迎えているが、キャラクターとしては活きている。死の演出、およびそれによる物語の動きを起こすという役割を担った、作品という大きな括りの中の重要な一つの部品なのだ。故にキャラクターとして、作品や世界観の一部としては生きている。

 二代目でじこ・うさだ・ぷちこに起きたことは、「二代目としての存在」というキャラクターの設定の死。世界観に付随するそのキャラクター自身を定義する要素とも言える。
これが消えたという事はそのキャラクターのアイデンティティ、キャラクター自身だけでなく、存在そのものが死んだということ。死というよりは消滅といった方が捉え方としては正しい。

 それが2022年の今やってる初代様アニメだけでなく、2013年から展開されている公式設定での世界観で見られてる「二代目でじこの姿をした女神ブロッコデス」であり、「二代目として存在する二代目でじこ」ではないという事の理由なのである。

 二代目でじこ・うさだ・ぷちこの姿は目に見えている。だが、目に映っているそれは二代目の姿をした別のキャラクターであり、二代目そのものではないということ。あるいは、本物の二代目でじこ・うさだ・ぷちこではないということとも言える。

その設定で困る人がいない

 そのことが表の世界で話題にもならない理由としては、単純にその設定で困るや悲しむ人が居ない、もしくは極端に少ないからだ。「初代・二代目」という概念すら生まれていなかった2007年の頃に、リニューアルデザインとして二代目でじこの姿が公開された時に荒れた理由も、この考え方と同じ構造なのだ。

 2007年の発表としては、タイミングもやり方も悪かったと思う。初めから二代目として展開され、初代も居ますよってことにすれば大きな歪みは生まれなかったんじゃないかと、今でも奥歯を噛み締める。

二代目でじこたちにあるのは「生きる」ということ

 二代目でじこ・うさだ・ぷちこには明確なテーマが存在する。それが「生きる・活きる」ということ。

 理由や想いも様々だが、キャラクターとしては一度「死」を経験している。二代目でじこたち自身が何かしらの事象によって、心臓が停止したという「機能的な死」ではなく、存在そのものが消滅するという「キャラクター自身の死」を経験した。

 このことから「生きる」という事に対しての説得力、道筋、考え方、闘い方といったものに芯が通る。奈落に落ちてしまったからこそ、そこから這い上がる力と戦略、底力といったものが彼女たちのキャラクターや物語、演出としての特徴として潜在するのだ。

 これについては初代D.U.Pとは内容、質、重さといったものが、決定的に違うものであると断言できる。二代目D.U.Pに宿る、唯一固有の特徴だ。

 「生きる」ということをテーマにした映画や作品はたくさんあると思うが、一つ代表作を上げるとするならば『ミュウツーの逆襲』だと思う。

固有のものと共有のもの

 前から提案している通り、二代目D.U.Pには「似て非なるもの」という特徴が良いだろうということ。

 初代様たちと姿形が似ている。なので似ているという事を逆手に取ることで、性格や特徴、考え方や好みの違いを演出できる。しかし、この「似て非なるもの」という特徴を活かすには、比べる対象となる元の方の情報をある程度熟知している必要がある。知識が共有されてなければ、その旨味が存分に伝わらないという事だ。
とすれば、「似て非なるもの」を特徴とした演出やキャラクター設定というのは、昔ながらの人々を対象にした方法なのだ。

 二代目でじこたち固有のテーマ「生きる・活きる」については、初代様たちにはないもの。つまり、完全に新規の人たちに向けての発信ができるのだ。二代目独自の特徴であり、且つ新規のファンに向けてできるというのが良いところなのだ
デメリットとしては、完全に0からのスタートになるので長い時間を苦労することになるということ。「似て非なるもの」とは違い知識の下地がないので、反応がなくて当たり前なのだ。気に病む必要はない。

新しい設定や世界観に反応なくても気にしなくていいよ

 新しい知識、新しいアニメを見たときのことを振り返ってみてほしい。即座に何か反応できただろうか。演出の中で反射的にドッと笑ったことはあっても、世界観やキャラクターの特徴を理解した上での考察や妄想、そういう「深い反応」というのはほとんどができなかったはずだ。
なぜなら、まだその時点では理解していないから。思考を伴う深い反応をするためには、ある程度の世界観とキャラクターの知識、そして落ち着いた時間と、心の余裕が必要だからだ。

 だから新しい設定が一度に押し寄せてきた時に、反応は生まれない。反応したくてもできない。もしくは、反応するために時間を使って咀嚼し、噛み締めているのかもしれないから。

 そうでない場合でも気にしなくていい。新しいものに反応が無いのが基本だから。

思い入れの玉座は崩れない

 初代様のファンに向けたアプローチには重点を置かなくていい。なぜなら、その人たちにとっての一番は、いつでもいつまでも初代様だから。

 これは悪口ではないです。二代目に心開いてくれていた人も、何人かは確かに見かけました。しかしそれは、初代でじこが「一番」という思い入れの椅子に座っている上での話であり、決してそこが席替えされることはないんです。悪いことではなく普通のことだと思いますし、別の作品や分野においてもそうなんじゃないでしょうか。

 だからこそ、それはもうしょうがないとして、二代目でじこ・うさだ・ぷちこについては新規のファンを育てるつもりでやった方が良いと思うんですよ。余裕ができたころに、ちょっと初代様たちに絡んでいくようにして。
お互いが自分たちの世界に生きつつ、「デ・ジ・キャラット」というのを共通の通信手段として遊びに行くぐらいがちょうど良いんじゃないかと。

 自分の場合、一番という椅子には二代目でじこと初代でじこが二人で座ってるというのがあるけど。あれ? 椅子に座ってる二代目でじこに、膝枕させてるのが初代でじこだったかな。

終わりに

  • 二代目D.U.Pは、キャラクターとしての「死」を経験している
  • 二代目D.U.Pに潜在するテーマは「生きる・活きる」
  • 二代目D.U.Pのメインのやり方は新規開拓

 特徴がない、というのはないはず。好きならばこそ、そのキャラクターの特徴は見つけ出さないと。
悲しい気分は変えられなくても、花一輪をついでに咲かせることはできる思うんだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました